確信と、近況

前回のエントリーから相当な日数が経っていた。 この記録は、後半はほぼ、当時入院中であった時の家族とのやり取りに使っていた為、退院が迫っている…という所で途切れていた。 もしも家族以外でこのブログを閲覧して下さっていた方がいらしたのであれば、とてもありがたく、またもしかするとご心配をおかけしたかもしれない。

私は昨年11月末の退院後、無事に自宅へ戻る事ができ、本日まで再入院するような悪化も起きず、体調は良くはないけれど希死念慮を感じる事は皆無の日々を送れている。 退院から現在に至るまでかなり時間が空いてしまったので、どういった経過を経て現在の状態になったかほとんど覚えていないが、これで確信できた事がある。

希死念慮は“病気によってもたらされる症状(治るもの)の一つ”である。」

その“症状”がなくなる為の治療法や期間に、確実で即効性のあるものはない。 再びあの恐ろしい気持ちに陥らない、という保証もない。 だが、あの感覚から抜け出す事ができたからこそ確信を持って言える。

希死念慮。絶望感しかなく、絶え間ない苦しみにより、その苦しみから逃れる方法が唯一死しか見えなくなる状態。 あれは「病気の症状」だ。 症状がおさまれば、嵐が去ったかのように、憑き物でも落ちたかのように、あの「死への希求」という感情は無くなる。 希死念慮を持つ事、死にたいと思う事、これは貴方の心が弱かったり、悪かったりする事ではない。 「病の症状の一つ」なのだ。

また少しずつ、近況を振り返りながら綴っていけたらと思う。 もしも、どこかの誰かの、少しでも助けになる可能性があるのであれば。 貴方の苦しみは誰からも責められるものではない。 共に「嵐が去る」のを待とう。 苦痛は減りはしないだろう。でもせめて、その苦痛を共有しよう。 私達は希死念慮がある事苦痛を、もっと話して良いのだ。