うつ病

人々を乖離させる幻想

世間一般という、ありそうで本当は実在しない水準から見れば、私の今の暮らしの状態は芳しくはないだろう。 「普通」「みんな」「多数」「一般的」、これらの言葉はなにもまやかしでは無いけれど、人は例外なく全員が異なる個体である事を差っ引いて、拾える…

今更のモラトリアム

2016年の12月は、「再度入院をせずに、ぼろぼろな生活ながらも、えっちらおっちらと日々を過ごして迎える事のできた初めての1年目」だった。 もちろん、具合が悪くなった時に然るべき場所へ入院するのは正しい治療法である。 ただ、1回、2回、3回…4回…と回を…

一年が経って

多忙だったり、大変具合が悪かったりしたわけでは無いが、またもかなりの期間のブランクが空いてしまった。 コメントやブックマークなどを頂いていた事も、つい最近知った。誠にありがたく、また、どうか何らかの助けになる事を心から願います。 自分でも読…

確信と、近況

前回のエントリーから相当な日数が経っていた。 この記録は、後半はほぼ、当時入院中であった時の家族とのやり取りに使っていた為、退院が迫っている…という所で途切れていた。 もしも家族以外でこのブログを閲覧して下さっていた方がいらしたのであれば、と…

土砂降り

食事が喉を通らない。 比喩でも誇張でもない。事実と現状である。 あまりにも絶望感と死の希求が酷いので、何の考えも持たずに外へ出てみる。 「死ぬ前に何かおいしいものが食べたい」 「歩いたら希死念慮が和らぐかもしれない」 「家族は助けにならないと割…

対岸の火事

希死念慮が病の一つの症状であるならば、絶望感はそれとは異なるものだ。 漠然とやってきたり、ぼんやりと思うものではない。 絶望というのは、希望(今より僅かでも楽になるかもしれない可能性)がほんの一欠片の見つからない状態を言うのだ。 文字通り「望み…

嵐が去るまで待って?

希死念慮は「症状」である。 だから、症状(希死念慮)が出た場合の対処としては、薬を飲み、「寝逃げ」をする。 …インターネットで調べた限りでは、そう書かれている。 また、主治医からも「不穏時の頓服薬が処方された」様に、対処法は「薬を飲む事」なのだ…

カミングアウトの恐怖

希死念慮がある事を告白するのは、とてつもなく勇気がいる。恐怖がある。 相手が例え専門家だとしてもだ。 精神療養の医療機関への入院時の項目に、「希死念慮はあるか」「自傷歴があるか」「自殺未遂はあるか」などのチェック項目がある。 果たして希死念慮…

自身の希死念慮について(2)

希死念慮は「病の症状」であり、実際に死に結びつくわけではない…と書いたが、同時に「死に絶対に結びつかないわけではない」という事も書いた。 これは私自身の体験による。 希死念慮というよりも、とにかく死への考えで頭がいっぱいになると、もはや「誰か…

自身の希死念慮について(1)

前のエントリーにも少し書いたが、ここ数日でこれまでにないほどの希死念慮に襲われ、起きる事もままならない程度の絶望感で打ちひしがれている。 打ちひしがれている…というと、悲劇のヒロインのように聞こえるかもしれないが、ふとした拍子に、本当の死の…

希死念慮は「症状だ」と理解する為に

希死念慮という感覚は「何らかの病気の症状である」と書いたが、実際のところ、私自身がまだそう思う事が出来ずにいる。希死念慮、雑にまとめると「死にたい、消えたいという気持ち」は、頭痛や腹痛などとは異なり、「完全な感情的感覚」だからだ。痛覚は「…

うつと希死念慮

「希死念慮」という言葉は、縁の無い人にはおそらく聞き覚えの無い言葉だろうし、 知る人には、ひどく苛まされる「あの感覚」の事だと通じると思う。希死念慮も、人に寄って異なる感覚ではあると思うので、私が感じている「この感覚」は、希死念慮を持つ人全…